こちらのブログ(日記)はすっかりご無沙汰でございました。
閲覧していただいている方々、いつも感謝しております。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

基本的には以下のブログで更新することにします。

http://colorado-bulldog.way-nifty.com/if_i_needed_someone_to/


また Twitter では常時(?)つぶやいていたりしています。
気軽にフォローよろしくです。

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皆様に幸多き年でありますように!


Twitter はじめました。
プロフィールページからどうぞ~。
帰宅時、コンビニでの立ち読みが唯一、仕事とは関係ない (とはいいつつも、何がしかつなげてしまっている気がする) ひとときとなりつつある日常。

何度も読んでいるのに、ついつい 『北斗の拳』 や 『花の慶次 - 雲のかなたに - 』 を手にとってしまう。

最近はコンビニコミック 『北斗の拳』 を3冊ほど一気読み。

それぞれひとつだけ好きな章を選べと言われれば・・・
『北斗の拳』 なら “牙一族”、『花の慶次』 なら “岩兵衛登場~家来になるまで” のところになるだろうか。

主人公のどちらかになれるとしたら・・・ケンを選ぶかなあと。
慶次はトラブル(?)大好きなかぶき者なので、さすがに性に合わない(笑)。

どちらにもある共通点としては、「絶対的な強さ」 であろうかと思う。
オイラもそういう実力を身に付けたいと思うこのごろ。

日々、修錬。
オイラは虎や狼ではないからね。
電車に乗るときは気づかなかったけど。
電車を降りてふと振り返ると、人の顔が!
・・・とよく見ると、メーテルさんじゃありませんか。
世代的に 『銀河鉄道 999』 はよく知らないんです。
オイラよりちょっと上の世代になるんじゃないかなと。

ネットで検索すると、

銀河鉄道999が西武鉄道に登場!
2009.4.30 19:49

 子供たちに電車に乗る魅力を再発見してもらおうと、西武鉄道が5月1日から車体に人気アニメ 「銀河鉄道999」 のキャラクターを描いたデザイン電車 (8両 1 編成) を運行する。小手指車両基地 (埼玉県所沢市) で30日、報道陣にラッピング作業中の電車が公開された。

 「銀河鉄道999」 は漫画家の松本零士さんの代表作。松本さんは練馬区の名誉区民で、西武池袋線沿線に在住しており、アニメによる地域活性化を目指している同区と、沿線の魅力向上を狙う西武鉄道が協力して実現した。

 車体には宇宙をイメージしたブルーを背景に 「車掌さん」 や 「鉄郎」 のほか、西武鉄道の黄色を活かした美しい金髪がなびく 「メーテル」、青く美しい地球などが描かれ、地球環境保護をアピールしている。いずれも松本さんがデザインした。池袋線、秩父線、豊島線、狭山線で約4年間運行される予定。
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/090430/tky0904301954013-n1.htm

だそうな。
しかし・・・今の子供たちに対するアピールとして 『銀河鉄道999』 という選択はちょっと強引すぎるような。


■ 参考
【鉄道】西武鉄道に「メーテル電車」登場(写真あり) [09/04/30]
http://huteikisokuhou.blog116.fc2.com/blog-entry-457.html


「 ゆーどらさんは結婚する予定とかないんですか?」

仕事中、突然そんな話題を振らないように。
ドビックリしてしまうではないですか。
しかし、そう見られる年齢になってしまったんですなぁ。
なんともかんとも。

あれこれ語ると、結婚するということは 「一緒に暮らす」 ということ。
46 時中、連れ合いが同じ空間にいることを苦痛と伴わないこと(極端に言えば)。
まあたまには一人でいたいでしょうから(笑)

そんな意味でいえば、連れ添う相手というのは、どういう人がいいのかみえてくるような気がします。

恋愛ってのは、まあ勝手気ままな状態。
会いたくなければ会わなくていい。
でも、結婚はそうはいかない。

「こういう人がいるのですが、会ってみませんか?」 みたいな話もあったりで。

でもま、オイラはイケメンでもなんでもないので
「ええ!ぜひ会いましょう!」 なんてガラでもないのですな。
というか、そういう気にまったくならない。
あきらかに 30代 って 20代 と違うなあとも。

結婚する人生と、しない人生とでは、
結婚する人生を選んだほうが、いろんな意味で面白いと思う。

でも、なんというか、ガツガツ探すのはちょっと違うような気がする。

とりあえずは直感に従うほうがいいのではと思っているのが今のところ。
ようやくお仕事が決まりました。
信念というか、我がままというか、まいど厄介な性格のせいで苦労しました。
人生で3度目の無職期間でしたが、とても勉強になりました。

今回は同じ職場で僕を合わせて6人離脱。
最後に決まったので僕でしたが、残り物には福がある・・・という感じでした。

こちらの日記では極めてプライベートなことしか書かないけれど、
節目というのは大切なことなので、メモ代わりに書いておきたいと思います。

これから忙しくなるぞー!
気合入れなきゃ!
前の職場を辞して、もうすぐ2ヶ月目に入ろうとしています。
うーん、久しぶりの無職生活、読書に没頭したり、料理作ったり・・・、
まさかまたこんな時が訪れようとは思ってもみなかったけど、
これも必然的だったのだろうなと感じています。

これは僕が勝手に感じていることなのだけど、
世の中、物事のあらゆるタイミングというのは決まっていて、
自分でコントロールしているように見えて、実は結果は決まっている・・・・
そんなことをふと感じてしまったり。

「決まっているなら、ずっと待ってれば自然に訪れるんでしょ?」
・・・というものでもないんだなぁ。説明が難しいのだけど。

GW空けになんらかの動きがあるかもなぁと思っていたら、
案の定、動きがありました。
この機会にスパッと決めたいところであります。

最近、強く意識しないといけないなと感じていることは、
「個人に与えられた時間の有限性」です。

ふと、ある人の音楽を聴いていたときにそんなことを思いました。
その音楽家はミシェル・ペトルチアーニ Michel Petrucciani というジャズ・ピアニストです。

彼は骨形成不全症という遺伝的疾患を患っていました。
「寿命は 20 歳程度まで」といわれておりましたが、
1999年1月6日、36 歳でその一生を終えました。

36 歳といえば、僕で言えばあと2年しかありません。
あと2年で何ができるのだろうか・・・と。
そう考えると、今までの自分の生き方が、
いかに死と向き合っていない生き方であったかということを思い知らされます。

何に対しても 「期限を設ける」 ということは、実はかなり重要なことです。
具体的な期限を設定することで、目標が具現化され、何をすべきがが明瞭になり、
そこから得るものが格段に増えていくと考えられるからです。

日々、のんべんだらりと生きているオイラにとって、
ちょっと考えさせられた今回の思考でした。
超超超久しぶりに日記を書きます。
「まさか、またココを使う日がくるとは!」という心境でございます。
blog では言いたくないけど、
書いて整理しておきたいこととかが出てきてしまう環境になってしまったということでしょうか。

しっかし・・・ここの日記、今読み返すと「めちゃっはずかしい!」です。
我ながらバカなことをつらつらと書いているもんだと思う。
まーそれだけ“暴走”してしまうんだろうね。
いい勉強になりました。
それも含めて「20代」を総括しなきゃならんかな
(あっ、ここの日記はそういう時期に書いていたんだと改めてビックリ)。
そういうのもおいおいとやっていきましょうか。


さて、ここの基本姿勢は 2004年11月18日の日記
『日記サービス(その2)』
http://53804.diarynote.jp/200411182129240000/
のままでいきます。

今、オイラの周辺で一番ホットな話題は仕事環境に関することです。
なんというか、またしても「世の中いろんな人がいる」 という話になりますなぁ。
ふと思ったんだけど、オイラが絡む仕事はなぜかこういう場所ばっかりなような気がする・・・。

そんなことも含めて整理していこう。
インターネットを利用して日記をつけ始めたのはインフォシークのプロフィールが1番最初。2番目がここ。

そのうちブログが発展し、写真やコメント機能、リンク解析など使い勝手が飛躍的に良くなっていったことから、オイラ自身もメインぺージはプログに移った。

しばらくするとmixiに誘われ、さて、日記をどうつけていけばよいものかとずいぶん迷った。もともと複数のページを持ちたいとは思っていなかったため、mixiでのページを開設した当初は、mixiの日記とブログを繋げて使っていた(mixi日記に共有する機能があるのです)。

そのうち自分が書く日記にはタイプが明確に分かれてきているのを感じ、その用途に応じて日記を使い分けることにした。なるべく気軽な近況報告をかねた日記はmixiで、考え事などの分量的にまとまった日記はブログで、そしてここは、あまりおおっぴらには書きたくない、けれどもキチンと整理しておきたいことを書く、そんな場所にしようとした。

でも一方で、どれも同じ私なのだから、ひとつの日記だけにしようかという思いもあった。でも、結局、mixiは極親しい人との接する場でもあるので、ウラ話というか、ちょっとひとこと書ける場所として使うことにし、基本ラインはブログとmixiの2本でいこうと決めた。

僕がここをあまり使っていない主な理由はこんなところ。
もうずいぶんと使っていないし、こんなことを書く意味もないような気がするけど、なんだか書きたい気分になったので書いてみた。

悩んでいるのはこの場所をプログとリンクさせたほうがいいのかどうか。リンクさせてしまえば、ここで独自に更新することはまずなくなる。考え事はプログで書くようになってしまったから。

でもま、迷っているうちはリンクさせるべきではないんだろうなとも思う。削除も考えたけど、削除させていない理由も同じだ。

なんだか禅問答のような、自分自身に問いかける場になっているのかもね、ここって。

気付いたこと。

2005年3月9日 日常
しばらくこちらを使っていませんでしたが、
それによって気付いたこと。
やはりこちらはこちらで需要があるな、ということ。

書きたいことが増えてきたので、
折を見て書いていこうと思います。
こちらでの日記更新はかなりの比率で滞る予定(閉鎖はしません)。
理由は「column@管理人室」というプログを読んで
思うところあったから。

Blogとはなんぞや
http://poron.txt-nifty.com/blog/2005/02/blog.html

「書く」という行為はなかなか興味深い行動であると思う。
一番の読者は他ならぬ「自分」なのだけど、
webに書いているところに意味がある・・・はず。

とりあえず、今後は別の場所で書いている
近況報告用日記一本に絞っていきたいと思います。

もし私宛に何かある方はプロフィールに書いてある
連絡先にメールください。



ちなみにカテゴリ「メモ」にて書いてある内容は、
「Walkin’ Around増刊号」
http://s03.2log.net/home/minusplus/
というページからの転載です。
今後、私がここに転載することはないと思います。
参考までに。

ゆーどら 拝
書きたいことがいろいろ噴出してきた。
そういう気分の時は吐き出したほうが良いと思う。
頭の整理みたいなもの。

今日(土曜)は出社して仕事に追われたため時間切れ。
明日でどれだけ書けるかわからないけど、
やるだけやってみる。


と書いておくと、ヤル気も持続するというもの。
自分へのエール?

追記:
あいもかわらず時間の使い方がド下手です。
あぁ、頭の中を整理せたいなぁ・・・。
11月11日の日記「日記サービス」で書いたとおり、
近況日記のスペースを作りました。

ただ、それはあくまで近況報告をするため、
いわば知り合い(主に身内)とのコミュニケーションをとるための場所ですので、
こことは切り離すことにしました。

ここダイアリー・ノートでは、
ソコでは書けないようなことを書くスペースにしたいと思います。
更新はなかなか進まないと思います。
ここを定期的に見てくださった方(いるんかいな?)、ごめんなさい。

サーバー激重!

2004年11月14日 日常
23時頃、ちょーサーバーが重いんですけど!

web日記の利点は気軽に書けるところ。
レスポンスが悪いのはいただけない。
がんばれ、Diary Note!

日記サービス

2004年11月11日 日常
「今日〜した」みたいな近況日記は、今のところmixi(ミクシィ)で書いている。
日記の“味”のひとつとして“何げない日常を記す”もあると思う。
そういう意味で、ここの日記スペースは魅力を失っていると感じる。

ただ、webだけのしがらみしかないこのスペースは僕にとって貴重な存在かつ魅力的。なので、今後はこのような体系を作って、日記を付けていく予定。

まずは、mixiとほぼ同等かそれ以上の機能を持った日記サービスを探す。とりあえず、以下2点は必須として、探してみようと思う。

 a.画像を複数枚貼り付け可能
 b.他人がコメントを書ける

mixiに参加したのはとりあえずはOKかと。
新しく探した日記のアドレスを紹介しておけばよいから。

これで other web → my web ←→ mixi が成り立つ構成になる。
これがベストかな。
mixi(ミクシィ)にていろいろ試している。

他愛のない近況報告はmixi(ミクシィ)で、
長文系や知り合いに知られたくないようなことはここで、
というふうにしようかと。

もともとmixi(ミクシィ)は身内が薦めてくれたもので、
僕の場合、お互いの近況報告ができればいいなと思っていて。
その際の「チョイやりとり」が、mixi(ミクシィ)ならではなんだろうなと。

今のところはそんなところです。
『晴れの日もある』
04年10月29日(金) 03:19
「ネタを考える」
http://www.mypress.jp/v2_writers/reiko_kato/story/?story_id=744019

→文章を書く作業は苦痛ではない。
パズルをしているような感覚で「ものを書く」ということは
一種の趣味みたいなもんかもしれない。
「楽しい」とは近いけど、チト違う感覚。

日記を書く理由は人ぞれぞれ。
書く内容というのも無意識のうちに選んでいるわけで、
ネタのピックアップにも個性があるから日記は深いというか、
面白さがあるのだと思う。

僕の場合は“自戒”のために書いていることが多いと思う。
「これではいかんな」という気持ちをこめて。

オイラって、毎日反省しているような・・・。
さて、今日は気になる日記があったのでそれをお題に。

2004.10.25.MON
「携帯メール中毒」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~susume/

→思うに「何が失礼なのか?」ということを意識しない人が多くなったんだなぁと思う出来事だ。こういうのって幼少期の頃の躾や、上司・先輩などの教育不足も影響していると思う。ま、もちろん一番問題なのはメール中毒な本人なんだけど。

僕は携帯を持っているしメールもする。例えば仕事中に携帯にメールが届いたところで、それをリアルタイムで見る必然性はまったくないからから見ることはない。急ぎならメールではなく携帯電話のほうに直接かけてくるはず。だからメールの着信がわかっても気にしないし、携帯電話はバッグに入れっぱなし状態な時もしばしば。

よーするに、いつも携帯メールを気にしてかつリアルタイムにその返信を書いている人は、そのメールの相手とのコミュニケーションを楽しんでいるだけなのだと推測する。その行為は「おしゃべり」に等しい。

別に「メール」を楽しむのはかまわない。でもね、やっぱそりゃ携帯電話を使った「遊び」なわけだから、仕事中にやるべきことではないし、また一緒に行動している人がいる場で、あからさまに行う行為ではない。
その行為は一緒に行動している相手にとって失礼そのものだ。どーしてもやりたいのであれば、最低限、一言ことわるべき行為だと思う。

ま、僕は冷たい人間だから、身近でそういう人がいても、いちいち注意などしない。自分に悪影響がなければ、だが。
場をわきまえず、そういう行為を平然とやってのける人は、「そういう人」と認識するだけのこと。

前にも書いたことなのだけど、その人の本質、人柄みたいなものは、普段の何げない仕草にこそ表れるもの。
ついこの間、複数の相手を評価せねばならない状況があったのだけど、その相手に対しては何げない発言及び行動に重点をおいて観察してみた。やはり“その差”がそのまま評価として出ている、というのが実感である。

もう一つ、思い出した。同僚と一緒に車に乗っていた時のこと。
運転中、軽帯電話で返信メールを打ちはじめたので、さすがに「おいおーい、あぶないから後にしよー」と言ったのだが、今考えると、「危ない」+「失礼」なのだな。その時、確かに「危ないなぁ」という感情では表現できない“もどかしさ”を感じたのだけど、今、その“もどかしさ"の原因がわかりました。

たががメールだけど、されどメール。
油断大敵・・・というより、他人をもう少し意識すべきじゃないでしょーか。
そんなことを思いました。
自宅で育てているワイルドストロベリー。
花が2〜3咲いたり枯れたりを繰り返している。

晴れの日は朝と夕に少し水をやり、
雨の日は水を与えない。
過去に米の溶き汁を2回、後は水しか与えていないのに、
植物はただひたすらに育っている。

生き物として、ただひたすらに。
「mixi(ミクシィ)」に誘われた。
http://mixi.jp/home.pl

まだ登録していないのでなんともだけど、今のところの印象は“転職サイトお友達版”みたいなイメージ。実名登録されている人がほとんどで、名前、現住所(〜市まで)、年齢、誕生日、血液型、出身地(〜市まで)、趣味、職業、自己紹介・・・といった内容が自分のページに表記される。他サイトで日記を書いていればそれを表示させられるし、mixiの日記を使ってもかまわない。会員同士のみお互いの日記を閲覧でき、さまざまなカテゴリ内で気にいった人同士で簡単にコミュニケーションが取れる・・・といったものかな。

mixiが提示している「mixi はメンバーより招待された方のみで構成された完全招待制コミュニティサイトですので、信頼できる方々とのネットワークを築くことができます。」というのはさてはて、どんなもんかいなぁと。

僕の持論であるのだけど、「ネットで変な人は実生活でも変な人」である。mixiに登録されているからといって、皆が皆信頼できるかといえば、それはそうでないと思う。
ま、そういう人は文章のやりとりをしている内に気付くものだから、自然に「類は友を呼ぶ」形式で似たもの同士が集まってくるのだろうとは思うけど。

例えば僕がmixiに登録したとしても、ここの日記を掲載することはない。ここの日記はここだけのものであり、実生活とリンクさせないからこそ書けるものだからだ。そこに価値があり、楽しめるポイントでもある。

逆にmixiは実生活とリンクする。そこを意識して利用する場所なのだろうとも。実生活とどのようにリンクさせて使うのか。これは個々人の考え方次第でいかようにも使えると思う。赤裸々に自分をさらけ出して使うも良いだろうけど、実生活での自分の友人知人が少なからず絡んでくるのだから、僕が使うとすれば、近況報告としての使い方ぐらいしかできないんじゃないかなぁと。それって面白いの?って疑問がある。顔バレしたHPを運営している感覚のような感じがする。そういう使い方もアリだとは思うけど、良くも悪くもwebの特性をひとつ失っているような気もする。

今のところ、趣味の時間内でここに日記を書き、今後作りたいHPの構想を練りつつ、そしてさらにmixiに日記を書くというのは、正直できそうにない。本当にやりたいことであれば、なんとか時間を捻出するものだが、mixiに触れていないからそういった気持ちも起きるわけもなく、至極当り前な所感なのだけど。

多分、mixiが楽しいと感じられる部分は“リンクされやすい”というところのような気がする。それはイコール他人とのコミュニケーションを取りやすい、おしゃべりしやすいといった、会話的なコミュニケーションをしやすいところじゃないかと。

会話は楽しい。そこなのかな、mixiの魅力って。



あれこれ推測してみたのだけど、どうも悲観的だ。
娯楽としてmixiを捉えるならば、明らかに間違った視点です。
「楽しもう!」という視点にもどれば、mixiも楽しめると思います。

とりあえず、自分の中の頭の整理終わり。

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