「リンク」について、ちと考える。(1/2)
2004年12月13日以下は、もうなくなってしまったサイトのテキストをコピーしたものです。
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「無断リンク禁止」とか言う奴ら
「無断リンク禁止」とか「トップページのみリンクフリー」とかいうのは恐らく日本独特の風潮である。少なくとも英文のサイトにおいて、リンクに関して禁止とか許可とか書いてあることはありません。
そして結論から言いますが、「無断リンク禁止」と書いても悪意のある人間には対抗できません。逆に、真に受けて遠慮するのはまともな人です。つまり、やや極端な言い方をすれば、まともな人はリンクを張ってくれず、悪意のある奴らのサイトにだけリンクが張られるという結果になります。
このインターネット社会は人為的なリンクによって成り立っている。それはGoogle以前のロボット型検索エンジンにおいて、検索しても検索してもカスみたいなサイトしか出てこないような状況があったのを思い起こせばわかることです。
そして面白いのは検索エンジンではあんまり出てこないサイトでも面白ければヒット数が多くなりうるということである。
検索エンジンで冷遇されていても面白ければ口コミで伝わっていくのがインターネットの素晴らしさの本質である。
そしてリンクをするというのは、その「口コミ」のために必要不可欠な手段です。
リンクを張るなという人間は、「口コミによる情報伝播」というネット社会の基本を否定しようとしているわけです。そしてそういう連中は、検索エンジンという大本営からのリンクで一方通行的に繋がれているという旧メディア的な在り方なら良いと思っているのかもしれません。
ちなみに言うと、最近人気急上昇中のGoogleは、このような「口コミ」を拾い集めた仕組みになっています。
多くの人はご存じだと思いますが、Googleでは簡単に言えば、たくさんのサイトからリンクされているサイトが上位に来るということです。
Googleのシステムを考えた人がどこまで深く考えてページランク方式を編み出したのかは知りませんが、ハイパーリンクが張られているということは「口コミ」が行われているということだから、それを集計するというのは本当に的を射ている。
現実社会だと口コミを集計することなど出来ませんが、ネットだとリンクという形で痕跡が残っているわけで。
リンクを張られたくないという理由は色々とあると思います。
たとえばUG系であれば技術情報の追求よりは「秘密基地ごっこ」の方に力点が置かれている。というか「秘密基地ごっこ」というのがUGの本質と言って過言ではないと思います。このような世界であれば、勝手にリンクされたり雑誌にURLを掲載されたりすれば、それは「秘密基地」の場所を公然とアナウンスされるようなもので・・・。
とりあえずそれは抜きにしてわりと一般的なサイトに関して言うと、リンクを張られたくないという人は、要するに、自分の手の届かないところで自分が話題になるということが不愉快なのだと思います。「リンクを張られること」ではなく、「勝手に話題にされること」がイヤなのだろうと思います。
つまり、仮にリンクを張られてそのリンク先でバカにされてたとします。その場合に問題となるのは、リンクを張ったことではなく、そのバカにしている文言のほうでしょう。
リンクを張るなと書くよりは、勝手に話題にするな、と書いたほうが正確なのではないでしょうか。
ちなみに、勝手に話題にして悪口言うのもたいして問題ないと思います。
「悪口は良くない」という単純なモラルが言論の世界において正しいとは思いません。
ポジティブな評価とネガティブな評価が交錯して我々の社会が成立している。
ネガティブな評価は必要悪であり、それもひとつの真実です。
ポジティブな評価しか存在しない社会というのはありません。
それに、悪口を言うというのは、ある程度リスクがあると思います。
あんまり揚げ足とりみたいなことに終始して、他人をバカ呼ばわりしていると、結局はバカを相手にして優越感を持つことしか出来ない、バカに依存しているバカだということが露呈する。そのあたりは見る人は見ています。
程度の低い悪口を繰り返していれば、その人自身が墓穴を掘ることになると思います。
現実社会においては、他人をバカにして、それを権力関係という形で固定し、正当性・正統性を得ることができます。
しかし、ネット上においては、権力関係が存在しないので、悪口を言っているほうが馬脚を現すという側面があります。
他人をバカにするレスばかり付けている人間は個々の局面では優位に立てますが、総合的に見れば、他人に尊敬されているわけではない。
そして恨みを買っていれば足をすくわれる可能性も高くなります。
つまり、長期的には悪口を言った側が必ずしも優位に立てるというわけではないので、そういう人間には自分の首を絞めさせておけば良いのです。
もう少し別の例で言うと、たとえば報道の世界において、「報道してもいいですか」といちいち許可を取っていたら、報道は成立しないと思います。というか、そういう条件なら、まともな報道は出来ないと思います。
評論も同じです。事前に相手の了承を得ないといけないというのであれば、評論は成立しません。
検索エンジンがただ単純に羅列された番組表だとすれば、リンクを張るというのは、その番組に対しての「評判を立てる」ことです。無断リンク禁止という人は、このような情報伝播をコントロールし、イヤな情報はカットしようという芸能プロみたいなことをやっているわけです。
ただ「酷評するな」というと言論の自由に抵触するから、「リンクを張るな」とか論点をずらして因縁を付けてくる。ヤクザ並みです。
しかしその一方で、自分のサイトを褒めて欲しいとは思ってるはずです。結局は「褒めるのはいいけど、悪口は書くな」というエゴでしょう。要するに「無断リンク禁止」という連中は、サイトを設立するのを公の言論としては捉えておらず、あくまで閉鎖性のある、自分を批判しないお仲間だけがいる状態でアクセスを増やしていきたいという願望を持っているわけです。「わああ、すごいですねえ」と言ってくれるお仲間だけが集まってきて、ヒット数と積み重ねていこうという考えなのです。
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「無断リンク禁止」とか言う奴ら
「無断リンク禁止」とか「トップページのみリンクフリー」とかいうのは恐らく日本独特の風潮である。少なくとも英文のサイトにおいて、リンクに関して禁止とか許可とか書いてあることはありません。
そして結論から言いますが、「無断リンク禁止」と書いても悪意のある人間には対抗できません。逆に、真に受けて遠慮するのはまともな人です。つまり、やや極端な言い方をすれば、まともな人はリンクを張ってくれず、悪意のある奴らのサイトにだけリンクが張られるという結果になります。
このインターネット社会は人為的なリンクによって成り立っている。それはGoogle以前のロボット型検索エンジンにおいて、検索しても検索してもカスみたいなサイトしか出てこないような状況があったのを思い起こせばわかることです。
そして面白いのは検索エンジンではあんまり出てこないサイトでも面白ければヒット数が多くなりうるということである。
検索エンジンで冷遇されていても面白ければ口コミで伝わっていくのがインターネットの素晴らしさの本質である。
そしてリンクをするというのは、その「口コミ」のために必要不可欠な手段です。
リンクを張るなという人間は、「口コミによる情報伝播」というネット社会の基本を否定しようとしているわけです。そしてそういう連中は、検索エンジンという大本営からのリンクで一方通行的に繋がれているという旧メディア的な在り方なら良いと思っているのかもしれません。
ちなみに言うと、最近人気急上昇中のGoogleは、このような「口コミ」を拾い集めた仕組みになっています。
多くの人はご存じだと思いますが、Googleでは簡単に言えば、たくさんのサイトからリンクされているサイトが上位に来るということです。
Googleのシステムを考えた人がどこまで深く考えてページランク方式を編み出したのかは知りませんが、ハイパーリンクが張られているということは「口コミ」が行われているということだから、それを集計するというのは本当に的を射ている。
現実社会だと口コミを集計することなど出来ませんが、ネットだとリンクという形で痕跡が残っているわけで。
リンクを張られたくないという理由は色々とあると思います。
たとえばUG系であれば技術情報の追求よりは「秘密基地ごっこ」の方に力点が置かれている。というか「秘密基地ごっこ」というのがUGの本質と言って過言ではないと思います。このような世界であれば、勝手にリンクされたり雑誌にURLを掲載されたりすれば、それは「秘密基地」の場所を公然とアナウンスされるようなもので・・・。
とりあえずそれは抜きにしてわりと一般的なサイトに関して言うと、リンクを張られたくないという人は、要するに、自分の手の届かないところで自分が話題になるということが不愉快なのだと思います。「リンクを張られること」ではなく、「勝手に話題にされること」がイヤなのだろうと思います。
つまり、仮にリンクを張られてそのリンク先でバカにされてたとします。その場合に問題となるのは、リンクを張ったことではなく、そのバカにしている文言のほうでしょう。
リンクを張るなと書くよりは、勝手に話題にするな、と書いたほうが正確なのではないでしょうか。
ちなみに、勝手に話題にして悪口言うのもたいして問題ないと思います。
「悪口は良くない」という単純なモラルが言論の世界において正しいとは思いません。
ポジティブな評価とネガティブな評価が交錯して我々の社会が成立している。
ネガティブな評価は必要悪であり、それもひとつの真実です。
ポジティブな評価しか存在しない社会というのはありません。
それに、悪口を言うというのは、ある程度リスクがあると思います。
あんまり揚げ足とりみたいなことに終始して、他人をバカ呼ばわりしていると、結局はバカを相手にして優越感を持つことしか出来ない、バカに依存しているバカだということが露呈する。そのあたりは見る人は見ています。
程度の低い悪口を繰り返していれば、その人自身が墓穴を掘ることになると思います。
現実社会においては、他人をバカにして、それを権力関係という形で固定し、正当性・正統性を得ることができます。
しかし、ネット上においては、権力関係が存在しないので、悪口を言っているほうが馬脚を現すという側面があります。
他人をバカにするレスばかり付けている人間は個々の局面では優位に立てますが、総合的に見れば、他人に尊敬されているわけではない。
そして恨みを買っていれば足をすくわれる可能性も高くなります。
つまり、長期的には悪口を言った側が必ずしも優位に立てるというわけではないので、そういう人間には自分の首を絞めさせておけば良いのです。
もう少し別の例で言うと、たとえば報道の世界において、「報道してもいいですか」といちいち許可を取っていたら、報道は成立しないと思います。というか、そういう条件なら、まともな報道は出来ないと思います。
評論も同じです。事前に相手の了承を得ないといけないというのであれば、評論は成立しません。
検索エンジンがただ単純に羅列された番組表だとすれば、リンクを張るというのは、その番組に対しての「評判を立てる」ことです。無断リンク禁止という人は、このような情報伝播をコントロールし、イヤな情報はカットしようという芸能プロみたいなことをやっているわけです。
ただ「酷評するな」というと言論の自由に抵触するから、「リンクを張るな」とか論点をずらして因縁を付けてくる。ヤクザ並みです。
しかしその一方で、自分のサイトを褒めて欲しいとは思ってるはずです。結局は「褒めるのはいいけど、悪口は書くな」というエゴでしょう。要するに「無断リンク禁止」という連中は、サイトを設立するのを公の言論としては捉えておらず、あくまで閉鎖性のある、自分を批判しないお仲間だけがいる状態でアクセスを増やしていきたいという願望を持っているわけです。「わああ、すごいですねえ」と言ってくれるお仲間だけが集まってきて、ヒット数と積み重ねていこうという考えなのです。
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