「なめんなよ」の精神で生きるということ。
2004年8月18日 お仕事僕が幼稚園の頃だったか、
「なめ猫」というキャラクターが流行ったことがあった。
「なめんなよ」がキャッチフレーズ。
これは舌で「なめる」と相手を蔑む「なめる」をかけている駄洒落なのだけど、
この言葉を思い出すたびに、なめ猫を思い出してしまう。
まーそれはともかく。
基本的に僕の仕事のスタンスがこれなのかなと思う。
日々ニコニコしているように見えて(?)、
「絶対にミスしてたまるもんかい!」と
内心気を張らして仕事をしている。
だから仕事に対するスタンスや、
とにもかくにも杜撰な仕事に接した時、
とてつもなく腹立たしい気持ちになってしまう。
「間違い」に対してはこういう気持ちにならない
(複数回、繰り返されるとダメだけど)。
何事でも「ミス」はつきものだと思う。
でも「ミス」を犯した場合、
それを回避するための努力を講ずるか、
その意識を持っているか、いないか、だけは
気にするようにしている。
最近、特に感じることなのだけど、
「私はこれでお金を貰って働いている」
という意識を持っている人が極端に少なく感じる。
こういう人たちと接してしまうと、
とてつもなくやりきれない気持ちになってしまう。
仕事へのスタンスひとつで、
その人の生き方すべてが表せているような、
そんな気がする。
またそれを意識する以上、
当然、自分自身に対しても厳しくなる。
「なめんなよ」
そう、相手に言えるだけのことをしているのかどうか。
「仕事」に対して「なめんなよ」。
「生き方」に対しても「なめんなよ」。
イコール、自分が自分自身に対しても「なめんなよ」・・・なのか。
「なめんなよ」の精神で生きるということは、なかなか大変だと。
でもね、“だからこそ”得られるものも大きい、そんな気がするのです。
「なめ猫」というキャラクターが流行ったことがあった。
「なめんなよ」がキャッチフレーズ。
これは舌で「なめる」と相手を蔑む「なめる」をかけている駄洒落なのだけど、
この言葉を思い出すたびに、なめ猫を思い出してしまう。
まーそれはともかく。
基本的に僕の仕事のスタンスがこれなのかなと思う。
日々ニコニコしているように見えて(?)、
「絶対にミスしてたまるもんかい!」と
内心気を張らして仕事をしている。
だから仕事に対するスタンスや、
とにもかくにも杜撰な仕事に接した時、
とてつもなく腹立たしい気持ちになってしまう。
「間違い」に対してはこういう気持ちにならない
(複数回、繰り返されるとダメだけど)。
何事でも「ミス」はつきものだと思う。
でも「ミス」を犯した場合、
それを回避するための努力を講ずるか、
その意識を持っているか、いないか、だけは
気にするようにしている。
最近、特に感じることなのだけど、
「私はこれでお金を貰って働いている」
という意識を持っている人が極端に少なく感じる。
こういう人たちと接してしまうと、
とてつもなくやりきれない気持ちになってしまう。
仕事へのスタンスひとつで、
その人の生き方すべてが表せているような、
そんな気がする。
またそれを意識する以上、
当然、自分自身に対しても厳しくなる。
「なめんなよ」
そう、相手に言えるだけのことをしているのかどうか。
「仕事」に対して「なめんなよ」。
「生き方」に対しても「なめんなよ」。
イコール、自分が自分自身に対しても「なめんなよ」・・・なのか。
「なめんなよ」の精神で生きるということは、なかなか大変だと。
でもね、“だからこそ”得られるものも大きい、そんな気がするのです。
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