僕が幼稚園の頃だったか、
「なめ猫」というキャラクターが流行ったことがあった。
「なめんなよ」がキャッチフレーズ。
これは舌で「なめる」と相手を蔑む「なめる」をかけている駄洒落なのだけど、
この言葉を思い出すたびに、なめ猫を思い出してしまう。

まーそれはともかく。
基本的に僕の仕事のスタンスがこれなのかなと思う。
日々ニコニコしているように見えて(?)、
「絶対にミスしてたまるもんかい!」と
内心気を張らして仕事をしている。

だから仕事に対するスタンスや、
とにもかくにも杜撰な仕事に接した時、
とてつもなく腹立たしい気持ちになってしまう。

「間違い」に対してはこういう気持ちにならない
(複数回、繰り返されるとダメだけど)。
何事でも「ミス」はつきものだと思う。
でも「ミス」を犯した場合、
それを回避するための努力を講ずるか、
その意識を持っているか、いないか、だけは
気にするようにしている。

最近、特に感じることなのだけど、
「私はこれでお金を貰って働いている」
という意識を持っている人が極端に少なく感じる。
こういう人たちと接してしまうと、
とてつもなくやりきれない気持ちになってしまう。

仕事へのスタンスひとつで、
その人の生き方すべてが表せているような、
そんな気がする。

またそれを意識する以上、
当然、自分自身に対しても厳しくなる。

「なめんなよ」

そう、相手に言えるだけのことをしているのかどうか。

「仕事」に対して「なめんなよ」。
「生き方」に対しても「なめんなよ」。
イコール、自分が自分自身に対しても「なめんなよ」・・・なのか。

「なめんなよ」の精神で生きるということは、なかなか大変だと。
でもね、“だからこそ”得られるものも大きい、そんな気がするのです。

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